|
幼少の頃何も分らないまま父親の横に座って覚えた写真の焼付け。暗室のあの雰囲気は未だに鮮明に覚えていますが、暗室に使っていた物置に現在の私の身体はとても入りそうにありません。
まだカラー写真がない時代にモノクロネガフィルムで父のマニュアルRFで「写真を写す」ことを始めました。そして前述の暗室で焼付けを学び、中学の頃には自分の部屋を暗室に仕立てて引き伸ばしをしてはパネルを作ったこともあります。印画紙から画像がゆっくりと浮かび上がるプロセスを現像液の匂いをまるで香水でも嗅いでいるようにしてほんのりと漂う中、あかも厳かな儀式を執り行っているように感じていた頃です。
その後の写真人生も、2007年で25年目に入る在米生活の中で健康と環境を考える機会を得たことがきっかけで感性の置き場所が決まった気がしています。2001年に人類史上起こるべくして起こってしまった同時多発テロ事件は私の人生観に大きなインパクトを与えました。そんな中、私のどこかで芽を出す時期を待ち構えていたようにしていたエネルギーを刺激したのは、アメリカの屋根と呼ばれるロッキー山脈の中に凄然と存在する大砂丘の躍動感と厳しいエコシステムでした。
まるで引きこまれるようにして撮り始めた大自然。どれだけ写真撮影で捕え表現することができるのでしょう。また、どこまで魅せてくれ感性をくすぐってくれるのでしょう。そんな疑問を抱きながらも尊敬の念を持ち、同時に畏怖を感じながらその懐に身を投じると、必ず何かを語りかけ見せてくれます。自然と会話を始めると、訪れるものに何かを感じさせてくれます。その偉大さに身を任せながら、魅せられるものを捉え、与えられた美を追求したいと思っています。
様々な音。人気のない大地を一人歩いているとどこからか音が聞こえてきます。それは、警戒心と好奇心でこちらを見るコヨーテや茂みから覗いている鹿たちの輝く瞳を感じたものでしょうか。風でそよぐ樹木たちの枝たちや、肌に感じる空気の流れや気温の変化、時には突き刺さるように舞ってくる砂塵からでしょうか。天空から容赦なく降り注ぐ雨、雪、そして天地をゆするようにして落ちる稲妻たちも存在感を主張するかのように話しかけてきます。何気なく足をのせている岩までがエネルギーを放つようにして奥に引き寄せてきます。恐怖心が走り、同時に美しさと神秘性に心が躍ります。
写真を通して、私の感じるこの素晴らしい大自然を少しでも多くの人に見てもらえればとても幸せです。 プロ活動を続けることによって少しで多くの方に自然の美しさ、そして環境が形となって存在している意味を感じて頂ければと思います。私の作品は皆さんに見て感じてもらえることによってその役割を果せるのです。
小池 清通
|