アメリカ精神 【小池清通】

 
写真家【小池清通】
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 エッセイ:  ユナイテッド航空

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 ハイテクバブルがはじけ、その大爆発に近い衝撃が波及するまでは天下でも盗ったかのように自惚れて好き勝手をしていた大手企業の管理職や、労働組合の賃金値上げや環境改善の声がやっと静まりかえる「倒産」の声が聞こえ始めてしばらくになる。賃金を6%減らして会社が持ちこたえるならば、すぐ受ければいいのに。94%はもらえるんだから。ゼロよりも大きい数字という理解はないのだろうか。いや、それ以前の好景気に精神的なものが慣れていて「減る」という言葉に理解を示さなくなっていたのかもしれない。個人経営をしている私からするとそんな労組の言い分は贅沢の一言であった。

 私は、航空会社の倒産には何度も直面している。旅行業界に長いからかもしれないが、過去20年に幾つもの会社が倒れ、生き帰ったものは数えるほどしかない。78年の Deregulation (政府の規制解除 - 料金の自由化)は業界の活性化を図り自由競争によるサービスの向上と市場の活性化を狙った政府の政策だったはずである。

 しかしながら、自由化は「潰し合い」に変貌と遂げた。弱肉強食。80年代はそんな動きが活発であった。ピープルズ・エクスプレスなどという食べ物持ちこみOKの格安航空会社も数年活躍した。デンバー・ロスの往復飛行機料金が100jを切り、バスよりも安い、と人が空港に溢れた時期もあった。トレールウエイというバス会社はその影響で経営不振に陥り、身売り同然でグレイハウンドバスの参加になるかのようにして姿を消した。

 それ以前は名前を知られていたイースタン航空、パン・アメリカン航空(パンナム)、ウエスタン航空などが姿を消した。私の住むデンバーでは旧デンバー国際空港(ステイプルトン)でコンチネンタル航空とユナイテッド航空がシェアを争っていた時期である。年次前後するが、パンナムが業界から撤退する期をみて、コンチネンタルがシアトル・東京のルートを獲得ししばらく日本路線の拡張を図ろうとしていたことを覚えている人もいるかもしれない。ところが、そのコンチネンタルも倒産に追い込まれ、会社更正法の採用を受けた。そして、見事生き帰った数少ない航空会社として現在も体制こそ変わってはいるが存在している。

 1995年2月28日に開港したデンバー新国際空港(Denver International Airport - DIA) は13,600ヘクタール(137.8 sq. km)の巨大な空港である。開港当初から5つの滑走路を持ち、現在6本目を建設中というもの。将来は12本の滑走路を持てるだけの敷地をすでに確保してあるというから規模が大きすぎて腹も立たない。そのDIA開港の時期にコンチネンタル航空は苦境に立たされ、太平洋線をあきらめ、ミクロネシア線をも手放すという状況に至り、ライバルであったユナイテッドに空港のゲート数を譲ることになる。その後のユナイテッドはかなりの勢いがあった。マイレージプログラムを開始し、違った形の旅行客へのアプローチを始め業績を伸ばし始めたのは、ちょうど営業や直接接客をするフライトアテンダントの対応の質が低下してきた頃であった。年功序列制度のため、シニオリティー(勤続年数)の高いものが勤務路線を優先して選ぶようになり、そのため(彼らにとって人気のあった)太平洋線には大柄で動かないおばさんたちがはびこっていた。プライドだけは高く、機内での対応も、笑い話にはなっても、人に真顔で話せるようなものではなかったのである。

 そのユナイテッド航空が労働組合との間の賃金や労働条件に関する話し合いに問題を生じ始めたのは数年前である。整備士の労組、アテンダントの労組、パイロットの労組など、テレビや新聞のスペースを結構埋める日があった。そして、2001年9月11日。結果論ではあるが、あの段階で労組も妥協をして、UAL経営陣と肩を組んで経営の再建を考え協力していたら倒産は避けられたかもしれない。

 2002年12月10日。正式にUAL社長が政府に会社更正法の採用を申し込んだのである。オーナー社員という振れ込みで宣伝していた会社も、過半数を占めるオーナー社員が落ちつづける株価に不安を感じていたのは確かである。あの鼻高々だった社員たちが、悲嘆に暮れ始めた。

 人生にはいろいろと出来事がある。良かろうが悪かろうが、またやりたいことやしたくないこと。個人の選択ではどうしようもない「歴史は繰り返す」と大きな時間の動きの中では言われるが、個人レベルでもそれに近いことがあるし、またジェットコースターのようにアップアンドダウンがあると思う。

 ユナイテッドの倒産は以前の同社の勢いを知っている人には信じがたいものであろう。一生懸命人生を賭けて働いている人が多くいるから、自惚れていた社員を責めるのは酷である。賃金向上を訴えた労組を責めるのも酷である。テロ事件を言い訳にして管理体制や経営方針の落ち度を隠そうとする官吏職を責めるのも酷である。

 自由の国アメリカが、「自由」の本当の意味、そして「自由」を獲得するのに何を必要とするか、ということを思い知らされる事件として私はユナイテッド航空の倒産をみている。航空史上最大の倒産負債額は、Corporate Crook と呼ばれる悪たれどもに潰されたワールドコムやエンロンとは違った意味で今後の経済に大きな傷跡を残すであろう。そして見せかけの愛国心を分かち合い、小型国旗を立てたり国旗シールを貼って燃費の悪い大型SUVに乗り回るのではなく、本当の団結をして経済的な回復をアメリカ人が考えなければいけない時期に直面していると思う。

 

 
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