アメリカ精神 【小池清通】

 
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 エッセイ:  学校の課題

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 アメリカは自由の国である。民主主義という名の国民主体の国である。発言の自由が権利として認められているが、こと宗教的なこととなるとお互いの宗教を尊重し合うように公には「大人の言動」として認めているところがある。

 2002年12月12日のニュースに気になる記事が載っていた。(9News記事を参考)デンバー北部にあるブーミング・タウンであるラフエット市の Peak to Peak Charter School という公立の学校での出来事であった。発端は、6年生のエリザベス・ジョンソンちゃんが、学校のクラスで課題となったプレゼンテーションの題材を選んだところから始まった。

 担任の先生は生徒たちにどんな本でもいいから選んで、それを元にプレゼンテーションをしなさい、という課題を出したのである。そこまではよかったのだが、解釈によってはとんでもないものが飛び出す国である。車のサイドミラーに「ここに写るものは実際よりも近く見えることがあります。」とか、発砲スチロール製の耐熱使い捨てコップに「このカップの中には熱いものが入っています。」と書いてある国なのである。なぜ、そういうことを芋吊式に付け加えるかはこのエッセイを読み終える頃には分かって戴けると思う。

 エリザベスちゃんが選んだ「本」はキリスト教の聖書だったのである。選んだ理由は、彼女が一番好きな「本」だから、という。それを聞いた担任は、聖書を課題に使うのはいけないと言い、また教室に持ってくることもいけないと言ったのである。細かい説明は避けるが、多くの宗教が渦巻く国であり、公共の教育の場で一特定の宗教を持ち込むことにおいて過去に問題が何度も起こっている。また他宗教を信じる生徒や学校スタッフに対する差別、ある意味での軽蔑ともとられ大変神経過敏になる可能性のある「こと」であった。

 そこでエリザベスちゃんが、他の本に変えて課題を進めればよかったのであるが、信心深い彼女の両親が反撃の旗を上げてしまったのである。何と言っても訴訟の好きな国民が多いのがアメリカである。訴訟する(Sue)という言葉と先住民の一族であるスー(Sioux)と掛けて、アメリカ人をスー族(Sue Tribe)と皮肉って呼ぶ人もいるというくらいである。先住民の方々はたまたま「訴訟する」という英語の動詞と種族名がその発音において似ているというだけで、土地を奪った白人たちに今でも迫害されているかのようにも思える。

 彼女の通う学校を管轄する Boulder Valley School District 学区は、エリザベスちゃんの親の雇った弁護士に譲歩し、彼女の聖書のプレゼンテーションを許可したのである。弁護士は、人権侵害を訴える訴訟するぞ、と「権利」を掲げて学区に脅しをかけたのである。

 学校側の譲歩を聞いて弁護士は言う。「学校は正しいことをし、学則を無効にしたことは喜ばしいことです」学則に反することを脅しによって勝ち取ったようにも聞こえる。

 学校の教師または校長はこのことに関してコメントを避けているが、学区のスポークスパーソン(以前はスポークスマンなどと言われたが、今は女性もいるので、性別を区別しないパーソンという言葉をつけて使われている)はエリザベスちゃんが聖書についてのプレゼンテーションをするかもしれないと言及している。

 宗教。それは信じない人、興味を持っていない人に押し付けるものではない。エリザベスちゃんの親がしたことは、娘の気持ちはプロテクトしたかもしれないが、他の子供たちのことは全く考えていないものであるとも理解されるかもしれない。大袈裟な。そう思えば、馬鹿らしくも思える。彼女がどのようなプレゼンテーションをするか分からないが、クラスの課題発表ならばせいぜい5分から10分であろう。やらせてあげてもどうこうないと思うこともできる。聖書というのは、権利の主張を噛み付くようにしたり、自分の信仰をプロテクトするために他者の信仰に干渉するようには教えていないのではないだろうか。

 私には理解できない難しいところが多いが、アメリカが宗教的にもすばらしいのは心の底から信仰をし周りの人、動物、他の生き物に対して感謝を持っている人が少なくないからであると思う。しかし、とり方を間違えてしまっている人がいることは確かである。アメリカに限ったことではないであろう。

 
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