ボランティア精神 【小池清通】

 
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 エッセイ:  偽善心

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 日本語にするとえげつい響きがあるかもしれないが、「偽善心」というものがある。人間の感情や欲情の中の一つであろうから誰にでもあるものだと思っている。しかし、これが異文化の中でどのような形をとっているかは、実際に2つ以上の文化を知らなければ比較もできなのが事実である。

 アメリカ人には善意の押し付けというものが時々キリスト教的なボランティア精神にぶら下がっている。ぶら下がって狸の金玉のようにご愛嬌があれば客寄せの縁起担ぎにもなっていいのだが、ちと違う。ぶらーんがどどーんと正面にでてくるから、何の金玉か分からなくなるときもあるのである。例えが悪かったとしたら、ビジュアルにイメージしてしまった人もいるかもしれないが、それは彼らの権利の主張に似ている。

 小さい頃から自分の部屋を与えられ「独立心」を育てられるアメリカ人は、討論好きな国民である。つまりディベートのことである。一方日本人は、自分の考えをあまり表面に出さない場合が多い。まして、自分の意見を、それが正当であっても押し付けるような態度をとると容赦なく村八分にされる。協調性というものを尊んでいるためであろう。封建的に年長者を立てて話を進めたりするのはその名残である。

 ちょうどご近所の黄葉がピークを超えて落葉が始まっていた。コロラドは赤くなる葉はほとんどなく黄葉である。トネリコ(Ash Tree)、カエデ(Maple Tree)、ニレ(Elm Tree)の落葉樹が輝くばかりの色の祭典を、その短い秋の間に眩しい日差しを浴びながら披露してくれる。ちなみにカエデは赤くなるものもある。

 落ちる葉っぱの量は決して半端ではない。風に舞ってご近所中を舞い回る。花吹雪などという情緒はなく葉吹雪は秋の名物でもあると私は思うほどである。そして吹き溜まりになるところには小山となってくるのである。ちょうど我が家の2軒隣のボブ爺が落ち葉を集めてごみ袋に詰めていた。爺といっても元はパイロットだったとかで2メートル近い大男であるから、さすがの私も見上げてしまう。そんなボブがこんなことを言ったのである。ちなみに私の家は常緑樹がほとんどで落葉なるものは希少である。

 「落ち葉集めに1時間以上もかかったよ。隣のケンも一緒にその位かかっていた。」息を切らして彼は、私の家の前にたまり始めた落ち葉を指差して何かを言いたそうであった。私は庭仕事が大好きだから落ち葉を拾うのは気にならない。溜まり始めた落ち葉はボブの庭の木から落ちたものだったが、もう少したまってからごみに入れようと思っていたところだったのである。しかし、何もしようとしない私が気に食わなかったらしく爺は怒り始めたのである。

 「俺たちが必死に落ち葉を拾ったんだから、お前もやるのは当然だ。」誇らしげにごみ袋の山に目を流しながらこの年老いた大男は私を見下ろした。

 何を言ってやがると思った私は、彼を見上げながら言った。「ボブ、貴方の言っていることは偽善の押し付けだよ。自分がいいことをやっているんだから、お前もやるのは当然だと。」「落ち葉拾いは私も好きだからやるだろうけども、人から強制されてやるつもりは全くないよ。」とそっぽを向いてやった。

 ちょっとした話だが、こんな人がよく目につくのがアメリカである。日本的に考えれば何かして自己満足に値する見かえりを期待する人や、自分がきつい思いをしたら、他者も同等の思いをするべきだという考えを持った御仁たちである。この心理は、よ〜く考えると仕返しの心理にも見られる何かを嗅ぎ取れると思う。

 アメリカ人には人助けに死力を尽くす素晴らしい人も多い。しかしながら、ボブ爺のようなレベルで自分を評価させたり、自己満足に他人を巻き込もうとするような屁理屈善意を押し付ける人がよく目に付くのである。「偽善心」も自由気ままに放し飼いにすると戦争にもなりかねない潜在的なものをもっている。

 

 
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