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見晴らしのいい丘の上に立ちあがり、金色に輝く高価そうなものを手にして高々と掲げた手が遠くからも見える。その人は雄弁に大きな声で誘惑の言葉を撒き散らし回りを見渡しながら、自分に捧げられる視線をあたかも体温を上げようと背中を広げるトカゲの様に体一杯に浴びようとしていた。どこからともなく群集が溢れ、我も我もと先を急いで歓声を上げながら彼に向かって丘を登り始めている。彼は、目の色を変えていた。向かって来る人波を見て自己満足の表情を顔一杯に表しながら、手をより一層高く上げようとしている。
ふと、その群集たちの向かう方向とは違う全く反対側の雑木林のような地味で人目に付かない山小屋の前で一人の男が遠ざかって行く人の波には目をくれず、地味で何だか良く分からないが何かを持って同様に手をそっと上げていた。
よく見てみるとほんのわずかの人数の陰が彼に向かっている。ゆっくりと焦ることなく、しかしながら着実に向かっている。彼は回りを見渡して自己満足に浸る風もなく、まるで、必ず来る人たちを信じて辛抱強く待っている。徐々に近づく人たちに心良く笑顔を向け話し掛けながら彼らの目を見ている。澄んだ目があちこちで笑みをたたえながら広がって行く。
人生の中でも様々な人との出会いがある。自分と似た顔をした人間が世の中には自分以外にもう2人いると言う話を聞いたことがある。見方を少し変えて考えると、全く同じ人生観を持って同様の環境で生きている人はいるであろうか。私はそんな自分と同じ流れを持って生きている人が、他にも必ずいるような気がしてならない。
私は、この経済大国の中で生活してきてはいるがその物質主義的な物に対する欲望や、それに伴うモチベーションというものに振り回されることなく年をとってきているような気がする。欲がないという意味ではなく、それに限度と焦点があるということである。
資本主義というと聞こえはいいが、アメリカでも1980年代初頭に航空運賃に関するディレギュレーションを政府が承認した。横文字で書くと堅苦しく聞こえるが、簡単に言うと自由競争を許す価格設定排除の法律であった。これは、航空業界における健全な競争を刺激し、サービスの向上をお互いに競い合うような業界を育てたいという意図があったかどうかは分からないが、私はそう解釈していた。
ところが、実際に起こったのはお互いの潰し合いであった。それは、俗に言う「弱肉強食」の世界であった。
今思えば80年代は現在に至る自由競争の中でも生き残りレースのスタート期であったようにも思える。航空業界に詳しい方なら覚えておられると思うが、80、90年代にコンチネンタル航空は2回ほど企業倒産防止法(チャプター11)を採用。昔から名前の売れていたパン・アメリカン航空ほか、イースタン航空、一時期素晴らしい伸びを見せながら短命に終わったピープルズ・エクスプレス航空の姿は今はない。一方、倒産した後に同名で現在復活しているフロンティア航空などもある。激しい価格競争と潰し合いが頂点に達した時は、バス料金よりも航空運賃の方が安くなり、その煽りを受けて潰れるバス会社さえ出てきた。
話が飛ぶ。
以前、あるレストランに勤めていたある日本人シェフとカウンターで話をしていた時にこんなことを言われたことがある。「小池さん。あんた、そんな考えで生きているとやっていけないよ。」と最初は軽く受けていたが、徐々に興奮して喧嘩腰になっていった彼の顔をまだ覚えている。そんな考えで生きていると人の事をとやかく言いながら生きてゆくのも大変だなあ、と彼のことを思い軽く受けていたが、「それじゃあ、食って行けなくなったら何でもやるだろう。」と言われた時に、「食っていけなくならないように自分の流れで生きているから大丈夫ですよ。」「たとえ食っていけなくなっても、何でもやるんじゃなくて、そんな状況下でも自分の形を失わないものをやるでしょうね。その方が自分を失わずにどんな境遇でも伸ばして行けるから。」と彼に私は言った。
この食べ物を扱うプロのシェフはかなり興奮して罵倒するかのようにカウンターから唾をとばしたのを覚えている。私はこの土地に根をはり、旅行業界に身を浸してから20年目になる。この会話をした彼はその後しばらくして仕事を辞め、日本に帰って行ったと風の噂で聞いた。
目に見えないものの価値を忘れてはいけない。物質文化の発達によってお金を出せば何でも手に入る時代になってきた。そんな時代だからこそ、お金で買えないものの価値を再認識する時期に達しているのではないだろうか。変化は新しいものを見つける機会を与えてくれるが、同時に今迄存在していながら目につかなかったものを視界にさらけだしてもくれる。
「この指とまれ。」さて、貴方はどの指に。
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