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懇意にして戴いているP社のOさんから電話を戴いた。「どうです、お昼でも御一緒に」という言葉に誘われて昼食を一緒にさせて戴いた。彼は、丁度出張で行っていた日本からコロラドに戻ってきたばかりだったらしい。「実は、小池さんに預かりものがあるんですよ」何なんだろうという好奇心の高ぶりを押さえながら近所のレストランに向かい、Oさんの到着を待った。
テーブルについて落ち着くなり、彼はおもむろに「預かりもの」を私に手渡してくれた。綺麗に包まれている包装紙をはずして中を見ると、砂丘のコーヒーカップと受け皿が入っていた。
「いやあ、Mさんもね、何をお礼に贈ろうかとずうっと探していたらしいんです。でも、なかなか小池さんのイメージのものが見つからなくてね。それで、つい先日あるショーウインドウを見たら、これしかない、って思ってこれを買ったらしいんですよ」Oさんは嬉しげに私の顔を覗き込むようにして笑顔を見せていた。
そのコーヒーカップの側面には砂丘が描かれており、真っ青な空に白い雲が気持ちよく漂っていた。そして、受け皿には砂丘の流砂のラインが描かれていたのである。
このお礼の贈り物を受け取るに至った経過を話したい。それには、一昨年の話をしなければならない。私は、セミプロとして写真を撮り続けている。セミプロなどというとその響きから私の茶目っ気が出てしまい、蝉を生産している蝉プロダクションの略のようにも聞こえてしまうが、私にとっては趣味以上の情熱を持ってやっているというチャレンジの一つのことである。親父ギャグの類ではない。
数年前にペンタックスの645Nというカメラを入手し、慣らしも兼ねてあちこちの写真を撮り始めていた時に、コロラド州中南部にあるグレート・サンド・デューンズ国定公園(注:2005年9月に国立公園として指定)を訪れた。そこは、大砂丘が山岳部のふもとにどかっと腰を据えている感じの、ある意味では異様な光景にも思える、素晴らしい国定公園である。砂丘の最高の高さが200メートル以上にもなるから、実際に歩くと全長(南北に)10キロ以上もあるこの地域を足で縦断しようと思ったら、サハラに立ち向かうくらいの心構えは必要だろうと思えるほど、表現を知らず知らずのうちに誇張してしまうような大きさである。
そこの写真を撮ったのである。砂丘の右端の後ろにはサングレ・デ・クリスト(キリストの血という意味)の山脈が聳える。砂丘の上には真っ青な青空、そして、その青空に感情と動きを出すかのように流れる雲たち。そんな構図の写真であった。
Oさんには以前から公私共にお世話になっていることもあり、10枚ほど全紙二枚分くらいの大きさまで伸ばして焼きつけ、裏紙(強化スチーロール)を付けてパネルにしていたものから、この大砂丘の写真を彼に贈ったのである。
実はその当時、CD写真・ガイド集出版のためにイエローストーン国立公園にも撮影に行っており、彼に同公園のことを頻繁に話していたため、彼はイエローストーンの写真を贈られると思っていて下さったらしい。ところが、私がグレート・サンド・デューンズ国定公園のその写真を持って彼のオフィスを訪れた時に思わぬ顔をされたのである。
それは、ネガティブな意味の顔つきではなく、驚きに満ちたものであった。「なぜイエローストーンの写真ではなく、これをお持ちになったんですか。ずうっとイエローストーンの話をされていたから、僕はてっきりその一枚だと思っていました」と彼が私に目を丸くして聞かれたのを覚えている。私は単にOさんには、この写真がいいと思っただけであったと伝えると、不思議そうな顔をしながらも、喜んで受けとって下さった。
Oさんは、少し考えてから、「小池さん、実はですね」と日本にいるMさんのことを話し始めた。Mさんは、コロラドにも何度も来られており各所を回って観ておられる方だが、一つだけとても気に入っているところがあるという。それが、このグレート・サンド・デューンズだというのである。「そこで、戴いたものを、大変失礼かもしれませんが、彼女に贈っても宜しいでしょうか」とOさんは、私の気持ちを気にしながら率直に聞いてきた。
私は、書物なども、読む人がいなければ単なる印刷物だと思っているのと同様に、写真もそれをみて楽しんでくれる人がいなければただの紙切れだと思っているから、「差し上げたものです。私の写真を楽しんで戴ける方がいるのであれば、それを贈るかどうかはOさんが決めてください。活かしてやってください」と彼に言った。
その後彼は、帰国出張の際に持って行き、彼女に手渡してくれていたのであった。
使うには抵抗があるくらい綺麗で、彼女の真心と気持ちが入っている砂丘のコーヒーカップをキャビネットに入れた。外からの光りがかすかにケースのガラス越しにその表面に当ると、砂丘に吹く風の音が聞こえ、その表面に細かい砂が舞いながら様々な波模様を描いている情景が目の前に見えてくる。空は眩いばかりのブルー、そして、その色をキャンバスにするかのように真っ白な雲が、一つ所に同じ形で留まることなく躍動感を漲らせて動き回っている。そんな空間が、私の家の居間にできたのは、Mさんからのこの砂丘のコーヒーカップの力なのかもしれない。
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