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少し前になるが、年下の古い知人からメールで便りを戴いた。長いこと音信がなかった間柄だったから、ありきたりの挨拶の各所に「久しぶり」「御無沙汰」「長いこと」「もう何年もたって」という類のものが、出店の行列のように屋根を連ねて並んで裸電球を風にゆらゆらと揺らしながら出ていた。
よっぽど懐かしく思ってくれていると思いつつも、文章を読み進めていると、私の目がとまった。彼の文章の切れの後にこんな文章があった。
「男四十にして毎日毎日あわただしい日々を送っています。」そして、昔を思い出す文面が連なっていた。
私自身の人生観の違いからかもしれないが、彼が何を言っているのか分からなかった。私にとって、彼のこの文章は、あたかも人生を終えようとする、または、自分を持たず毎日に振り回されている、そんなイメージにしか感じられなかったのである。また、四十代という一つのレベルに達した満足感というよりも、脱力感を感じながらもリラックス出来ない現実を直視しないようにしながら逃げられない状況を嘆いているかのようにも思えた。この表現も、慣用的に使われる一つの出足文なのかもしれないが、私には、彼が楽しく人生を送っているようには感じられなかった。人生は四十代で終わるものではない。
その後、帰国の機会があり、中学校の同級生達と飲む機会があった。そこで、私は大変なショックを受けた。それは、そこにいた同級生達も同じような表現で現実を語り始めたからである。
私にとっては、今がまた新しい青春である。私にとっては、一生チャレンジであり、一生青春だと思っている。いくつになっても人生楽しまなければ意味がない。今までの人生は、これからの人生のための修行期間だったと思うと、いくつになってもこれからが楽しみになってくる。
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