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ある野球中継を日本で見ていた時に、「アメリカ人は個人プレーが多くて困ります。協調性に欠けてますね。」などと日本の何とかと言う野球評論家が言っていたのを思い出す。しかし、協調性に富み、個人プレーをしない日本の野球選手が何故アメリカの大リーグで通用しないかを説明する評論家を私は見たことがない。
私は、静岡県立浜松商業高等学校で陸上競技部に三年間所属した。特に中学校から運動を本格的にやっていたわけでもなく、また運動神経に長けていた訳でもないが伝統のある高校で、私としてはよくやったと満足出来る県大会出場を成し遂げて卒業した。私の三年生の年は70何年かの歴史を誇る古い学校ながら、何十年ぶりかで団体で2度目の全国制覇を果たしている。
当時の恩師であるYコーチは「こうやって投げなさい。」などといってよくご指導下さった。私は運動神経は「並」であるため、どんなコーチに指導戴いたとしても県大会どまりだと思うが、自己流のフォームでやってたら少しは記録が伸びたかも知れないと思うことがよくある。
大リーグで頑張っている野茂投手の投球フォームはとてつもなく「基本的な投球の形」からかけ離れていると言われる。ところが、彼は他の日本人の野球人が成し遂げなかった大リーグでの活躍を続け、ほかの日本人選手の進出の通り道を開いた。
陸上競技では、体格的に北欧の選手に劣る、槍投げの溝口選手が助走の早さを磨くことによってその投擲力をカバーし、「日本人としては」素晴らしい記録を残した。
ボール球をヒットにしてしまうなどと言われた長島選手にしても基本(?)とされる形から外れていたが、素晴らしい記録を残している。余りの打撃パワーに、「野生の感」が凄いと賞賛された彼も、勢いで観衆をのんだ。
人各々、日本人であれアメリカ人であれ体型が違う。手の長さ、大きさ、筋肉の付き方、筋肉の性格の違い、右利き左利き、上半身と下半身とのバランス、云々。また、精神的なものの見方、考え方の違い、感受性、判断能力にも個性がある。
そして、人各々いい所が必ずある。
自分のいい所を如何に伸ばすかということが大切である。それにはまず自分の弱いところを見つけ出すことである。それが分かると自分のいいところが見えてくるような気がする。
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