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日本的な精神感覚でみると、アメリカ人は雑であると言われる。「アメリカ人はアバウトだからねえ」なんて言葉もよく聞く。彼らは草食・農耕民族の日本人に比べて、肉体的に背が高く太い人が多く思われる。大陸に生まれ育った彼らには大きなものにあこがれると言おうか、それが普通であるという理屈のない生活環境の中から自然に蓄積したものがある。一方、日本人には「島国根性」という表現に代表される感覚が国民性として存在している。
日本の高度成長期にこれに似た現象が一時的に起こったのもアメリカ文化の影響があるかもしれない。60年代後半にホンダ技研が当時としてはかなりの大型車であるCB750(俗に言うK0)を発表し日本人ばかりかアメリカ人をも驚かせた。オートバイでいえば日本の他の三社も同じような時期にヤマハがXS1を、カワサキがH1、そしてスズキがT500を数年の違いはあったが発表している。4ストと2スト、2,3,4気筒の違いはあれ当時における最大排気量戦争が想像される。
バイク通の方の中にはご存じの方もいると思うが、この時代に、アメリカ仕様としては1972年末に川崎がZ900(Z1)を発表し翌年から販売を始めている(この日本仕様の750がZ2と呼ばれた)が、日本での最大排気量は750cc(ナナハン)と暗黙の了解でもあったかのように「決められた」。当時のクレージーキャッツの歌にも♪ナナハン乗って♪などと歌詞の一部に時代を思い出せるようなところがあったように記憶している。1970年代の高度成長は時代の象徴であるナナハンと共に進んだ。
当時でもハーレーデイビッドソンは(ハーレーダビッドソン)、リットルクラスのVツインを誇っているがAMFの誇るシャベルヘッドの故障率は、後のエヴォルーション(ブロック)エンジンと違い多くのライダーを日本車そして欧州車に流している。当時はトライアンフ、ノートンなどのツインエンジンの英車もまだ勢いがあった。
テレビではチョコレートの宣伝では、「大きいことは良い事だ。」車の宣伝では、「隣りの車が小さく見えます。」などと流行言葉も出て体格的に小さい日本人も大きなアメリカに負けまいと、恐らく敗戦後の心理的コンプレックスを知らず知らずのうちに解消しようとしてか、頑張ったのである。日本が現在の経済的な位置に至ったのは、この時期の勢いが幸いしている。
しかし、体が大きいアメリカ人が乗ろうが小さい日本人が乗ろうが車は動くわけであり、大きくても一つ、小さくても一つの体である。
結局何の違いもないのだが、「人間」と言うものは目に見えるもので相手を判断しリアクションを取るのが最も簡単なことを知る知恵を持っており、他に考える余裕がないと、この最短コースをとるようである。
自分で問題を分析し、解決策を捜し出すよりも「スケープゴート」を造りだしそれに全ての責任を押し付けて自分の立場を安全なものにしようとすることは、いわば一番簡単なことであり、多くの人はこの行動を取っている時に自分が他にすることがなく最後の切り札を最初から出していることに気ずいていない。
アメリカ人を考えながら、日米関係なく人間の本質を思い、自分で責任を背負って生きることが出来る人間のポピュレーションが少しでも多くなることを祈る思いである。逃げるよりも責任をとれる度胸のある人はどのくらいいるんだろう。
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