心理学 【小池清通】

 
写真家【小池清通】
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 エッセイ(2): 人間の本質

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    エッセイ(2)
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        ヘルスクラブ
        復讐心と憎しみ
        口に出るもの
        人間の本質
        帰国


 人間の生まれもった、または物心ついた頃からの信念の本質などと言うものは変わらない(そんな年頃だから自意識はないだろうが)と思うが、歳月を経るにつれて、それを樹木の幹に例えると、沢山の枝がでて、沢山のいろいろな形や色の葉がついてくると思う。

 何十年かぶりに再会する旧友などと話をしたり、新入社員時代に付き合っていた連中と、これも長い歳月を隔てて再会してみると、お互いの成長や変化をみることが出来る。いい意味で大きくなった人もいるであろう。また、自惚れ一杯のままに管理職についている者もいるかもしれない。

 年齢による肉体的な変化や、長年の食生活や体質による体格の変化は誰にでもそれなりにあるが、精神的な変化というものは目には見えない。でもそれは木のようであり、大きく枝を広げている人や、枝の数ほどしれているが美しい花を咲かせている人、など様々であろう。

 それでも、人間の本質というものは変わっていないと私は思う。木の幹は見えないかもしれないが、幹の本質は変わっていないと思っている。人によっては、外側に育った枝や葉っぱでまったく人が代わったようにも思われることがあるかもしれない。しかし、人間というものは見かけが変わっていくことがあっても本質が完全に変わることは滅多にない。「三つ子の魂百まで」とはよくいったものである。

 話が飛ぶように聞こえるが、例えば、私たち誰もが持っている感情の一つ、「偏見」「差別」というものを考えてみたい。それは、現実に誰にでもあるものだと思う。ただしその感情を言動に出して特定の人をけなしたり意図的に避けたりしている人と、逆にプロテクトしたり他の人と同じようにもてなす人との違いがある。その違いというのは、各々が自分自身に対して言い聞かせたり、コントロールしているものであると思う。時には教養がそうさせる。また、痛い嫌な経験をすることによって、ものや人に対する見方が変わってくる。そういう意味でなのである。

 さて皆さんの人間としての枝ぶり葉ぶりは、どんな風になっているのだろうか。「この木、どんな木、気になる木」などというどこかの宣伝の歌が頭にこだまする。大きな形のいい木が枝一杯に葉を広げて太陽を浴びている。そんな木のような人間になりたいものである。幹は細くても素晴らしい枝や葉を蓄えている人は沢山いる。人間の「木」は物理的に重力や気圧を感じてそびえる樹木とは違った形や大きさがあるから学ぶものも多いし興味深い。

 
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