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歴史に関するテレビドラマやドキュメンタリーが日本でも多く放映されたり、書籍として出回ってはいるが、アメリカに移民として渡ってきた日本人の話を語るものは多くない。
新田二郎著「アラスカ物語」は、フランク安田という名前でアラスカのゴールドラッシュの時代を駆け、エスキモーを助けモーゼスのようになった実在の日本人移民の話である。一世紀近く生きたこの男も第二時大戦中のアメリカ合衆国における日本人・日系人への弾圧を受け「強制収容所」での生活を強いられた人であった。
コロラドという州はアメリカ建国の100年目に州となっている。そんなことからも、「100年目の」という意味からセンテニアル・ステートとも呼ばれている。1800年半ばから末にあたる時代に州になった。
私の知人のTさんは、40年以上も前に渡米しアメリカに帰化された方である。何かの折りに昔の話を伺ったことがある。1800年代の話ではないが、1980年初めに渡米した私からするとインパクトが強く、私のエッセイを読まれている方にも何かしらの衝撃の礫を撒いてくれることと思う。現在は航空技術が発達してスペースシャトルがかなり頻繁に大気圏外にでては様々な研究を進め、日本の宇宙飛行士も何人かそのプロジェクトに参加するようになっている。宇宙という、まだ私には未知の世界にまで飛び出さないまでも、雲の上を飛んで移動する交通手段であるジェット旅客機には驚くものがある。
私が渡米した1983年はジェットを搭載したジャンボ機であった。東京からロスアンゼルスへノンストップであった。以前は、ハワイにワンストップして飛んでいた。
少し前になるがTさんと食事を共にする機会を戴いた時に、話題がそちらに傾いた。話をステージにのせていろいろな角度からスポットライトをあてるかのように焦点が照らし出され内容に熱が入った。彼が最初に渡米した頃の話になった時には、前述の飛行機の話ではなく船の話になっていた。
当時は船を使って何週間かかけてアメリカに渡ったという。船が進路を北に向けた時には大体海が荒れたという。給仕たちがテーブルクロスを濡らしてテーブルにかける姿を見るだけで船酔いが始まってしまうような条件反射が出たくらいであったらしい。波にもまれながら船はアメリカをめざし、日本からの移民を運んだ時代である。
「大変だったんですね。当時は。」という私の言葉に対して、彼はにっこりと笑ってこう言った。「小池さん、僕の頃なんかまだよかった。確かに船酔いは辛かったけども、もっと前に来た人たちに比べたら大したことはなかったですよ。」彼の瞳に当時を思い出すかのように暖かい輝きが見えた。
彼と私の知人にAさんという日系二世の女性がいる。彼女は大変な働き者でいつも明るい人柄である。会ったことはないが、話は彼女の父親のことになった。彼は違法入国者であったと聞く。つまり密入国を企ててアメリカに見事入り込み生涯を送った移民の一人であった。1900年初頭に何十人もの渡米志願者と共に船底に隠れて日本を発った。何週間も船底の湿った暗闇の中で、船の揺れと飢えに耐えながらアメリカを夢見ていた。中には病気にかかり動けなくなる者もいたという。そして、西海岸の港に着く手前で彼らは動かなければいけなかった。
病気になった者や衰弱して動けなくなった者を見捨てて、体の動く者たちは港が見え始める前に海に飛び込んで陸を目指して泳いだ。何十人も彼と一緒に泳いだ。皆必死だったという。ところが彼が海岸に泳ぎ着いた時には数える必要もない位の数に人数は減り、途中で力尽きた者は波間に浮き沈みしながら姿を消していった。そして、何とか生き残った連中と身を隠して移動を続け、職を見つけて生活を始めたというのである。
現在は、移民法という法的な束縛や規制が違うとはいえアメリカは私たち日本人にとって外国である。その鉄条網をくぐりきって命懸けで生きた移民のことを思うと、時代の違いはあれ、現在の自分たちが如何に恵まれているかを考えさせられる。
人生何事も悪く理解したらきりがない。しかし、物事は解釈のしようによってどうとでもとれることが多い。苦しみは人との比較ではないが、自分の境遇が恵まれていると心から思える人間は、何をしても学ぶことがあり常に成長出来るものだと思う。自分にとっては先輩の移民たちが何十年も前にやってきたことが、現在のアメリカにおける日本人に対するポジティブな先入観を作り上げてくれたと信じる。あまり話されることのない過去の事実をこんな形で得られたことに感謝する。
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