強制収容所 【小池清通】

 
写真家【小池清通】
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 エッセイ(2): 移民

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    エッセイ(2)
        アメリカ人を考える
        物事の二面性
        移民
        強制収容所
        ベトナム戦争
        外人さん
        身障者社会
        走るお姉ちゃん
        業務視察の秘密
        ヘルスクラブ
        復讐心と憎しみ
        口に出るもの
        人間の本質
        帰国


 知人のHさんから電話がかかってきた。何かと聞いてみると、私の住むコロラド州デンバー首都圏から車で片道で7、8時間東に行った所にあるアマチという町に行かないかという誘いであった。名前だけは何処かで聞いたことのある地名であったが、彼女と話を進めて行くまでは何で知られた所か覚えていなかった。

 その年は丁度終戦50周年にあたる年であった。アメチは、アメリカにおける日系人社会において忘れてはならない名前であることを思い出した私は、その誘いにのった。そこは、当時はアマチ収容所と呼ばれており約2万人の日本人・日系人が第二次大戦中の敵国である日本の血をひくものだという理由で強制的に収容されていた。アメリカ各地に点在していた収容所の一つである。

 戦後生まれの私は当然ながらその時の日本国内の状況ばかりか、現在住んでいるこのアメリカ国内での私たちの先輩たちが過ごした過酷な状況を理解することは難しい。しかし、私にとって過去に起こった事実を確実に学び取ることへの重要性は強く感じはじめていた時期であったので、50周年記念のアマチ収容所跡へのツアーに複雑な気持ちで参加した。

 早朝のため、まだ外は暗い。集合場所の桜スクエアはデンバーの日本町にあたる所である。知人と合流し、バス数台で出発をする。参加者の多くは当時そこに入れられていた頃に子供や青年であった年令の人たちであった。日系二世と呼ばれる人たちは片言の日本語しか話さないが、彼らのしわに囲まれた目には言葉で表せない時代の流れの中で50年も経ってしまっている事実と、彼らの記憶ファイルから消しきれない事実がいつまでも心の何処かで吹いている風のように体にあたっていた。

 長いバスでの移動。ロッキー山脈群を後にして東に向かっていくと何もない高原砂漠地帯となる。時々見える森や林は小さな町や農家の存在を示す。乾燥性の大陸の内陸部ではクリークと呼ばれる小さな川や池などがない限り大木は育たない。人間が1800年代半ばにこの地に「一攫千金」を求めてゴールドラッシュを引き起こすまでは殆ど人口がなかった。時代の流れの中で農業を始めた人たちが灌漑施設を作り水を引いた。そのお陰で森や林が、それでも目につく程度であったが、点在していた。

 アマチ収容所跡に到着した私たちは、メモリアルとして建てられた記念碑前まで入っていった。収容所として使われていた建物そのものは跡形もなく、ただ基礎のコンクリート跡が雑草とサボテンに見守られながらひっそりと顔を出していた。この景色を見た時に私は言葉で表せないような衝撃を感じた。「百聞は一見にしかず」と言われるように、実際に見る収容所跡は当時の悲惨さを想像するには現実的過ぎた。まるでタイムマシンにのって50年前に飛来したような現実感を持って私のハードディスクを入れ替えるような衝撃を持っていた。

 バスを降り、埃が舞う広場を皆思い思いに歩いている。ふと気がつくと柵で囲ったところが、その隅の方に静かに横たわっていた。近づいてみると、その中には幾つかの墓標が並べられていた。まい散る埃でその表面ははっきりと見えない状態であった。

 一つは幼い子供のものであった。手を合わせ一礼をしようとした時に目に付いた墓標には「Name unknown」と刻まれていた。無名仏であった。どうしようもなくぶるぶるっと体が震える思いがした。体の中からこみ上げてくる感情を押さえながら、代表者がアナウンスをし始めている方角に足を向けた。記念式典ということもあり、日本からT放送局が訪問しておりバスの屋根の上にカメラを据えつけその下に集まっていた私たちを撮影していた。記念碑前でお祈りが唱えられ、合掌をする。

 話を聞きながら、周りにいる還暦前後の御年配たちの顔に浮かぶ表情の微妙な変化が私の目に突き刺さってきた。彼らは、50年前ここで数年間送っていた子供時代の状況を思い出していた。話が終わり、皆が自由に散らばり始めた時に思わぬことが起こった。

 まるで前もって私の前で起こるようにセットしてあったかのように、二人の御年配が走り寄ってきて抱き合った。一瞬何が起こったのか我を忘れたが、彼らが幼なじみだったことを知った。しかも50年ぶりの再会だったことが、印象を増幅して私の記憶にまた新たな感情を削り込んだ。

 顔じゅうしわだらけの二人が、ぼやぼやーっと煙に撒かれて幼年時代に戻るような光景を想像した。基礎のコンクリートしか残っていない収容所の建物が、新しい木材で建てられたばかり光景に変わった。雑草は取り払われ埃っぽいながらも道もできている、家財道具もほとんどもたない日系人たちがトラックやバスにのせられて次々に入ってくる。 "Times New Roman"'>
日本で戦後に育った日本人として、こんな光景を考えただけでも辛かった。

 第二次世界大戦が勃発し、アメリカは日本を敵として戦った。その国内にいた日本人・日系人にこのような「迫害」と思える差別行為をした事実は今でこそ日本でも知られるようになっているが、何故だったのだろうか。同様に敵国であったドイツからの移民やその子供たちには、アメリカはこのようなことをしていない。何故だろうかといつも疑問が挑発的に飛び出してくる。

 アメリカは、その殆どがヨーロッパから移住してきた白色人種の末裔である。眠れる獅子が起き上がった大戦時のアメリカ国民の心理状態は複雑であったのだと思う。その祖をドイツに多く持つアメリカ人にとっての、敵国ドイツに対する恐怖は、未知とでも思われた東洋の一国、日本に対するものの比ではなかったと思う。アメリカ人の4人に1人はドイツの血が流れていると言われる。(移民としてきたドイツ系人の次の多かったのはアイルランド人、続いてイギリス人だったと聞く。)

 そして、その恐怖が潜在するアメリカ合衆国がやったことがこの強制的な収容命令とその実施であった。収容された中、新しく移住してきたばかりの人たちを除けば、その殆どの日系人はアメリカで生まれたアメリカ国民である。つまり、当時のアメリカ合衆国は自国民の一部をその人種または国籍の背景のみで差別をしたことになる。その代償云々に関しては、終戦後かなり経ってから故安井ミノル氏はじめとする日系人弁護士が政府と戦い勝利を得ている。が、勝訴を得た時に既に他界していた人たちの数は少なくはなかった。

 戦争中は、この強制収容所の中にもボランティアを求めるビラが撒かれた。アメリカの為に従軍する者を求めた形のアクションが政府から取られたのである。アメリカ人として生まれ、アメリカを愛する若者たちが何人も収容所の生活に文句も言わずに志願した。しかし、彼ら「日系アメリカ人」が送られた戦地は悲惨であった。捨て駒として意図的に過激な戦闘地域に送られた。彼らは必死で母国アメリカのために戦ったと聞く。当地デンバーにもその生き残りの方がおられる。アメリカは、大戦中のドイツにおけるユダヤ人虐殺とは比較にはならないが、自国民に差別行為を働いた。 lang=EN-US>

 悩める獅子は、終戦をかけて原子爆弾という考えられないパワーを持った殺人兵器を日本に向けて送り出した。この爆弾を二発も日本に落としたことに関して、私は人種差別的な心理状態がなかったとは断言しかねるが、ロシア系ユダヤ人の親友に話したとこがある。彼は、特にアメリカを弁護するつもりではなかったが、私の知らなかったアメリカ兵のドイツ人殺戮の話を聞いた。しかし、戦争を知らない私でさえ、その殺戮という言葉を聞いても、あの原子爆弾をもって行われたアメリカの行為とは比較に値しないと思っている。広島の平和公園を訪れ、土門拳氏の写真集「ヒロシマ」に被害者の写真を見、被爆二世、三世たちと話をしていると言葉もでない。

 孫子の代まで怨念を込めるがごとく日本に落とされた爆弾に関しては今では殆どアメリカでは取り上げられていない。戦争とは悲惨なものである。国と国との戦いに罪も無い国民が巻き込まれる。ベトナム戦争や湾岸戦争、そしてコソボにおける空爆。果たして人間は争い無しには生きられないものかと考えさせられる。

 1800年代後半に米西戦争で勝利をおさめ初めて世界的に存在感を創り出したアメリカ合衆国は、その後破竹の勢いで世界の大国として地位を確立してきたが、その過程の中で心理的な恐怖?がリアクションとして起こさせたこのような行為が、アメリカの真髄に宿る不安と恐怖を物語っているような気がするのは私だけであろうか。

 
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