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私の郷里浜松も、昭和30年代後半から40年代初めくらいまではあちこちに蓮の田んぼが見られたものだった。その頃は舗装道も少なく、砂利道を自転車に乗って走ってよくザリガニを捕りにいったことがある。自転車の後に三角網をつけてハンドルにバケツを引っ掛けて走ったこともよくあった。
ゴム草履から足をはみ出して、夏の炎天下の中を田んぼに向かった。蓮の田んぼは、水が蒸発してあちこちに底の泥が乾いてひび割れして顔を出していた。目を凝らすとその泥を盛り上げるようにして作られたザリガニの巣が見える。中には甲羅干しでもするかのように外に出て日光浴をしている、乾いた泥が白っぽくなったものもいる。巣の穴に溜まっているわずかな水を体に浸して顔だけを覗かせているものもいる。
意気揚揚と、泥の中に足を踏み入れて餌にするためのザリガニをまず捕らえた。尻尾を剥がして皮をむき、持ってきた糸にくくった。バケツを片手に巣を探す。こいつを餌にして何匹も釣り上げて、バケツにいれて家に持って帰った。
折れた蓮のはっぱをのけると茎の辺りから糸を引くように樹液が伸びる。蓮の実は空に向かって大きく広がり、中には種がきれいに上をむいて不規則に並んでいるように見える。熟してくると中の種の形がくっきりと浮かび上がるかのように表面にぽこっと出てくる。この蓮の根っこが蓮根だとは初めは知らなかったが、今でも不思議な植物だと思っている。
家に戻ると捕ってきたザリガニは、小さな池に放してあげたがそれほど長くは生きてくれなかった。環境をしっかりと整えてあげなかったのと、彼らの飼育に対してそれほど熱心ではなかったからだろう。
そんなことを思い出しながら、アメリカ人の友人と駐車場を後にした。それは私が四ヶ月ほどオレゴン州のポートランドに住んでいた頃のことである。ライトレールと呼ばれるちんちん電車は、京都や豊橋などで走っているものと違い、余り情緒のない近代的な路面電車であるが、中心街を抜けるようにしてコミューターとして走っていた。
この街でもう100年前後の歴史があると言われているあるシーフードレストランに入った。少し薄暗い店内の壁には昔の広告の紙が貼られていたり、珍しいものはしっかりと額に入れられて装飾の役目を果たしていた。
あちこちで海産物の匂いが湯気とともに空気に混ざって私の臭覚を刺激していた。覗き込むつもりでもないのに、周りのテーブルに目がいってしまう。食欲は十分のようであった。
よりどりみどりのおいしそうな品目の中から、メインの食事を決めて注文を済ませた。ウエイターが席を発とうとした時、同席のアメリカ人が何かを思い出したかのように突然立ち上がり去り行くウエイターに追加注文をした。周りの音で何を注文したかは聞こえなかったが、得意げに笑みを浮かべる彼の顔つきから、このお店の名物の類を頼んだものと理解した。
コーヒーを飲みながら、仕事の話に熱が入り、私たちの頭からもそろそろ湯気でも立ち上がり始めようとした時、ウエイターが誇らしげに、湯気をもうもうと吹き上げる大皿にのった前菜を持ってきた。テーブルの真中にどかっと置かれたその大皿には、紛れもないアメリカザリガニたちが赤く茹で上がって私を見つめていた。
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