笑い話 【小池清通】

 
写真家【小池清通】
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 エッセイ(3): 小池君

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     エッセイ(3)
        稲荷弁当
        ザリガニ
        小池君
        漢字
        突然の訪問者
        ニューヨーク
        空港のトイレ
        御中
        精神治療医
        70マイルでチュッ
        テロ事件
        自殺
        リハビリ
        おとぼけ

 いつ頃だったか、アイオワ州で人口千人くらいの田舎町で歯医者をしているという、私と同様に移民として在米中のN先生から仕事を通して電話を戴いたことがあった。彼はその小さな町で、彼の自慢する麻酔技術(私は専門家ではないので何がどう凄いのか皆目見当がつかないが)を大いに使いこなして隣町からも患者さんが駆けつけてくるとかで、大変得意になっておられたのを覚えている。
この面識もないまま電話のみで話をさせて戴くご縁を持った先生は、話に勢いをつけて続けた。何を隠そう、彼の麻酔は面白いくらい効くのだそうである。私にとっては「面白いほど」などという表現を使って有頂天になっている医者の先生には言い返せなかったが、麻酔は効くものだから使うのだと思うのである。彼の感情が頂点に達しようとして、電話でなければ恐らく手を握り締めて話していたであろう、そんな時の感情を踏みにじるつもりは私にはなかった。

 話の好きな方で、機関銃のごとく「小池さん、小池さん」を連発していた。とても丁寧な口調で話すこの田舎の名医(迷医?)さんとは様々な意味で各々の在米体験などを話していたが、そのうちに話の波がドンブラコ、ドンブラコとお互いに大きく打ち寄せ始め、下手をするとどちらかがタイタニック号になり兼ねないくらいに盛り上がった。

 そんな大揺れの状況下で彼は突然、「ところで小池さんはお幾つですか。」と日本では当然というほどにその会話の中の決り文句になっている言葉を謙虚に使おうとするかのように聞いてきた。
日本では、これが一つの人間関係(年齢だけを元にした上下関係)の尺度であり、相手の上下優越をそれだけで決めてしまうことが、国際人になりきれない日本人ならではの壁を自ら作り出しているだが、私は年で人を判断するのが嫌いであるし、常に卑怯だと思っている。しかしながら、昔ながらの日本の封建制的システムをここであえて否定するつもりはない。

 そういうことを嫌う考えはアメリカでは堂々と自己信念として通る。何故嫌いかというと、例えば、私が貴方よりも幾つか年上だとしてもそれはたまたま私が貴方よりも早く生まれたからであり、決して私の努力とは関係がないからである。当たり前のことである。従って「俺の方が年上だから」などと自分の力でもない、しかしながら曲げられない事実を掲げて人を見下すようなことはできない。

 ところが私が理解するに、特に自分に能力や自信がない人間ほど、この「曲げられない」事実を表に出して人をひれ伏させようとする傾向がある。井戸の外側(海外)から見ていると、この手の態度を強度に示して胸をはっている連中は最初から切り札をさらけ出しているだけのことであって、はったりは強く見えるが他には何も持っていない。実際に寂しい連中はその態度を変えることは出来ないが、自分でそれなりにその空しさを実感しているはずである。

 批判ととって戴きたくないが、日本ではこのような上下関係を年齢によってもとって、形成することによって、昔から続いている平和、調和をかもし出しているとも言える、と理解しようと思えば出来ないこともない。この風潮に慣れていたり、染まっている人たちは、この「年齢」による順番付けがはっきりすることによって、自分が上であろうと下であろうと一種の村の中にいる安心感を得るのである。

 目上は尊ばなければならない。後からたまたまスタートした者は、先にスタートしたものから学ぶものも多いこともある。

 一方人間的に深みのある方々は、こんなことをしなくても相手に自然と威厳を感じさせてしまう。視野の広い人は経験の少ない人や、助言を必要としている人を助けようと手は差し伸べても、いちいち彼らを傷つけるようなことはしないし見返りを期待したりしない。
話を戻すが、「先生、まあ幾つでもいいじゃあないですか。」と私は言い返した。しかしながら、先生が余りにもしつこく迫るので「1950年代ですよ。」と言うと、具体的に自分が何年生まれだと言ってきた。「それよりも前ですか後ですか。」私の年にそんなに興味を持っているのだろうか。独特の口調で、まるで演歌歌手がこぶしをきかせた歌の終りのあの喉を震わすテクニックを出すかのように語尾を強く上げて抑揚をつけて突っ込んできた。仕方なく「その後です。」と私はいよいよクライマックスに近づいたような興奮の鼻息を受話器に吹きつけ、轟かせていた彼に言った。

 その瞬間、彼の小ぶりの洞穴の入り口の大きさがあからさまにさらけ出された。「あぁそうか、『小池君』は僕よりも若いんだ。」

 見事であった。一瞬にして連発されていた「小池さん」が「小池君」に変身させられたのである。仮面ライダーが、テレビの画面で一瞬にして衣装替えするがごとく、また舞台裏に行って変身するよりも早いかなりの玄人芸であった。私の特別仕立てのスプーン(さじ)は、アメリカの澄んだ青空に向かって高々と放り投げられた。

 日本の封建制の名残のようなものをそのまま外国でも保守することによって、一つの「村」を作り、自分たちの保身を保っている在米日本人の一部の方々や、日本人学生が固まってその予備軍として彼らの真似事を始めているのならまだしも、自分と同じように永住を目的に、我々にとっての外国で骨を埋める覚悟で住んでいると思われる日本人移民の中に、彼のような情けなき、砂漠の尻切れ蜥蜴の一人を見つけてしまった思いに開いた口がふさがらなかった。

 彼が何か羞恥心を持ったのか、それとも他にいい獲物を見つけたと思って移動したのか、それ以後、私にとっては有り難いことに全く連絡がなくなった。
今はほとんど亡くなられているが、我々にとっては移民の大先輩にあたる方々が80年ほど前に日系人会という集まりをつくられた。当時、日本の英語の教育システムが今日ほどしっかりしていなかったために、大した英語力もなくアメリカに移住してきた彼らは、同じような境遇の日本人移民たちで集まり団結し、お互いをプロテクトし、サポートしたと聞いている。

 21世紀に入った今でも、そんな純粋な相互援助の精神をもって組織の中の地位に溺れず、お互いの成長を願える人が一人でも増えて行くことを切願している。

 
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