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アメリカ生活も長くなると漢字を忘れてしまう。と、ワープロでは漢字への変換を頻繁に行っていても自分の手で字を書く機会が少なくなった今、その懸念というか自覚はかなり大きなものになっている。
仕事などで公式文を書く時は礼儀上ワープロを使う場合が多い。前述のように「変換」ボタンを押して、適切な漢字を選択する。この作業が多くなっている現代の人達は、ワープロだけでなく携帯電話のイーメールの打ち込み作業などに時間を費やすことはあっても、自分の手でペンを持って紙に文章を書く機会が少なくなってきている。
私自身も時間がないときはワープロで書き込みを済ませ、不必要な部分を削除したり、切り取って適切な個所に挿入したりしているから、漢字というものを忘れてしまいそうな恐怖を持っている。が、切り取りや削除、一部の文章の移動などは、その手のソフトを使うと便宜がいいのも確かである。
目と手のコーディネーション(Hand and Eye Coordination)
という言葉がある。これは、運動選手などのものに対するリアクションスピードや反応そのものに関して話される場合もあるが、手紙などを書く時に目で紙面を見ながら頭で文章を考え、それが手に伝達されて字として書き込まれる。当たり前の動作であるが、この動作を繰り返すことによって字を覚えるという記憶プロセスが潤滑に行われるのだそうである。
ところが、ワープロなどの使用に慣れてくると、パコパコとキーボードを打ちこむだけで、漢字の画などを書き込んでいるのではなく、キーの位置が違うとはいえ、キーボード上にあるどれかのキーしか打たない作業に思考回路が順応し始める。漢字の画数がいくつあるかまでは覚える必要はないが、小さく画面に表示される漢字が人偏なのか行人偏なのか、草冠なのか竹冠なのかさえ分からなくなってくる。
そんな思いをしていたある朝、オフィスのMさんがこんなことを言った。「小池さんの御家族のマリコさんってどういう字を書くんですか」私は「満(みつる)に里(さと)のマリコです。三ズイのマンです」
すると、彼女は、「えっ?三ズイに万なんでいう字があったんですか」と驚いて答えた。
私の表現があいまいだったのかもしれないが、こういう漢字に関する知識や表現がこれからどんどん失われていくような気がしてならない。訳の分からない略号が使われるのが時代の流れだとすると、この漢字に対する認識の変化も仕方ないのであろうか
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