写真ブーム エッセー【小池清通】

 
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 エッセイ(4) 写真ブーム

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     エッセイ(4)
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  写真機(カメラ)の技術が近年目覚しく発達したことによって一長一短の現象が起きている。感性を磨くツールとして写真撮影に身を浸すことは自然との接点を見つけられたりして利点が多いはずである。しかし、その写真を撮る人たちの中に「マナー」を守らない人々が多いことが話題になっているらしい。

 桜守として有名な佐野藤二郎さんも嘆いていた内容に似ているが、有名な姥桜が山里の農耕地にあるという噂を聞くと猫も杓子も車を走らせてやってきて花の咲いている時には人だかりになるという。しかし、一旦花が散ると、そこに素晴らしい桜があることさえ忘れたように彼らは消える。その木と共に春夏秋冬を過ごしているのは何世代も前から農業を営む地元の方々である。佐野さんはこう言っている。「桜のこと考えもせんと上ばかり向いて桜の根元を踏みにじる」

 桜の花を見たい、美しい桜の(満開時だけ)姿を撮影したいという「欲望」で集まってくる人たちには踏みつけられた根など気にもならないだろう。自分自分の撮影スポットを探すために道なき場所を掻き分けて上り下りして近づいたり、どこぞの畑を横切って勇み足。桜を取り巻く周りの自然を掻き分けて、自分だけのスポットを確保しようとそのことだけを考えて眼の色を変えて動く人たちが少なくないということである。農作物を踏みつけ、他人の敷地を無断で横切ったり侵入したりするという。

 とても、痛ましいことである。自分本位で感謝の気持ちのない人には、たまたま綺麗に写ることはあっても心の通った写真は撮れない。気の「毒」な人たちまでが写真撮影「行為」を出来るようになったのは、交通手段の発達はもちろんであるが、撮影機器における技術発達が理由である。しかし、それはインターネットの発達によって便利になっている一方で悪用問題が生じているのと同様に、物の使い方を知らない人が多くなっているというよりも、使い方を知らない、誇りと責任感覚のない人にまで使える環境を普及させてしまった現実があると思う。問題を取り除けば、問題がなくなるという先進経済大国が考える西洋医学的なものは一時しのぎにしかならない。問題を生じさせている理由を少しでも多くの人が理解し、まず一人のレベルから回復に向かう言動をとることが必要になると思う。

 物に恵まれると手元にあるものが当たり前のものとなり、なくなると精神異常と思われるほどの恐怖感からパニックが始まる人が少なくない時代。それだからこそ、自然の有り難さを再認識し、そのために私たちができることを風景写真というものを通して訴えることもできるのではないだろうか。身の周りにあるエコシステムも、私たちの健康と同様に微妙なバランスをとって「美」を見せてくれている。

 ちょっとしたゴミ袋をベルトに通して下げながら撮影ポイントに向かう時、何気なく不自然に落ちているサンダルの片割れや塗装がすでに取れて裸になっているアルミ缶などを拾える。そんな小さな行為ではあるが、自分が撮影に行くたびに、そこの汚れが減るという喜びが生まれる。そうすると写真を撮るだけでなく、その景色の一部になっていく自分に気づくことがある。エコシステム。それが創り出す「美」を私たちは写真機という道具で、感性というソフトをもって見つけ出し、フィルム上に複写させてもらっているのである。

 
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