日本語 文化【小池清通】

 
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 エッセイ(4) 退化する日本語

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     エッセイ(4)
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        退化する日本語

  以前は靴墨を塗ったような女の子が銀色の唇をして転げていた時代があった。また、足首から始まって膝や腰にダメージを与えるように思われた柱の切れカスに足を乗せているような履物が流行った若い女の子の姿が目立った時期もあった。そして、交差点で大股広げてしゃがむ若者、シルバーシートに座る学生服の女生徒軍団にも哀れみを覚えたことがある。逆に大人の中にもシルバーシートで携帯電話をかける老人や新幹線のグリーン車でも平気で携帯電話をかけて車両に響くような大声で笑う人も増えていた。それは、「喉下過ぎれば」または「人もやっているから」という言い訳・無責任現象ともいえるが、日本の伝統的な譲り合い、共同生活という自然と協調することによって限られた土地や天然資源の中で生きながらえてきて出来た文化が、文明社会に飲まれ「金があれば何でも変える」「金になるものを優先的にやる」というような形になってきている気がする。昔土壌や雨に恵まれずほそぼそと生活を営んでいた人々がいた。た南米の古代文明である。ある時期から地理的なロケーションが貿易上便利だということで中継貿易地として栄えるようになったらしい。富が入りそれまで苦労して作っていた農作物を作らなくなりお金だけで自惚れた人が増えた。農業離れし人工増加が続いているうちに食糧難が訪れ、最終的には滅びたという道筋に似ているものがある。

 ビデオに録画された最近の日本の番組をみていると耳障りとも思える表現がある。その一つが「〜みたいな」というものである。これは「〜のような」という表現から来ているのだろうが気に障るほどに思えた理由があった。口語調のものであるが、不明確な省略でもあり元来の意味とは違ったニュアンスを含んでいる。

 例:   そのようにすると格好いいような感じがする。
     → そのようにするとと格好いいみたいな。 (感じがする。感じかもしれない。感じかなあ。感じだと思うらしい。ことがある。そんなことを思っているようだ。など)

 「〜みたいな」という表現そのものは「〜のような」という意味で使われているが文章の一部の形容詞的な装飾効果がある。上の例文の場合の「〜みたいな」は「感じがする」という動詞を飾っているから副詞的な効果を出しているのが分るが、この気になる流行(?)の表現だと「〜みたいな」の後が省略され動詞がなくなっている。だから括弧の中のような予想ができるが、実際の会話の流れによって理解する必要がある。 また言語として尻切れトンボの感があるが、考えすぎみたいな風に思われるかもしれない。

 何でも省略してしまう風潮が近年の日本にはあり、例えば「明けましておめでとう」が「あけおめ」になったりして味わいも伝統も有難さもない感情のこもらない単なる文字言葉になってしまっている。外来語のカタカナを略しているものになると「セレブリティー」が「セレブ」になるみたいなこともその例である。

*注:「〜みたいな」は上の文書のようにも使われていると思うが、ここは「セレブリティーがセレブになるみたいな風潮が出ている、と表現したい。 実際にはもっとまともな書き方があると思う。省略が必ずしもいいとは思えない時代であるような気がする。

 猫も杓子もこれをやっている。NHKのアナウンサーまでもがこの「トレンド」に染まっているかのように「〜みたいな」を連発。流行言葉ならいいが、伝統を忘れつつあるハイテク社会の中で文明の利器に頼って化学加工した建材で立てた家に化学接着剤で組み立てた家具を入れて生活してシックハウス症候群。お金があればなにでも手に入るという経済流通社会で農耕民族の基本を忘れ四季の流れに味わえさえ感じなくなってゆく本能の衰え。都市化によって上がる不動産、マストランスポーテーションとして掘られる地下鉄、地価高騰でマンションなどの高層ビル増加、過密社会の心理で増える自閉症や現実逃避の心理。任天堂やソニー他の開発した楽しいゲームソフトでファンタジーの世界だけに自分を投影する若者たち。西洋医学に頼り病気は退治、切除すればいいという発想。そして天然資源に恵まれず海外からの輸出に頼っている自給率の実態をどれだけ把握して田畑を壊して宅地造成しているのか、開発の名の元に道を広げアスファルトを流し込んでいるのだろうか。

 ただ単に候調の日本が明治以後現代語の基礎に変貌を遂げたような言葉は変わるという流れであることをただ祈りたい気持であるが、何の意味もない集団心理の現実回避みたいな改善や発展の余地のない無意味な戯れに終わらないでもらいたい気がする。

 
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