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公私に渡り牛との関わりが深まってから長いが、本当の意味で「つながり」ともいうべき力が動き始めたのは、ほんの数年前である。そして、その力が「エネルギー」になって流れ始めたのはある人が贈ってくれた、文字通りの「ギフト」であった。
その「エネルギー」または「パワー」を与えてくれたのが、メル・コールマン(シニア)[敬称略]である。私の親友である、メル・コールマン(ジュニア)の親父さんであった。惜しくも2002年2月に他界されたが、彼が私に残し続けているものは数え切れない。デンバーと牧場のあるサワッチで開かれた告別式に参列して彼の人望をひしひしと感じたのを今も鮮明に覚えている。食肉として牛を食べるアメリカの消費量は膨大な量になる。その食肉産業の中でコロラド開拓時代に、この地に根を張った彼らの先祖は1800年代からランチング(牧場経営)を始めていた。本物のカウボーイ一家の、彼は5代目にあたった。
牛肉消費国アメリカでも、その飼育方法に疑問を持ち、資材を投げ打って80年代初めに「オーガニック」「ナチュラル」牛の飼育システムを自ら考え出してこつこつと実行してきたのが彼で、業界では知らない人がいないほどの人であった。当時は同業の牧畜農家も精肉業者も彼の行動を驚きの目で見てはいても、追従するほどの度胸と先見の明を持っていなかった。ある意味では目の前の収益の方が大切で、動いているビジネスを方向変換してまでチャンスをかけようとは考えなかったのである。
私がコールマン氏と会ったのは最初にも最後にも一度だけであったことである。暖かい真っ青な眼をした同氏は待ち合わせのガススタンドまで出向いてくれた。実際には彼の息子との打ち合わせで、彼を煩わすことなく牧場を訪問するはずだったのであるが、どこかでミスコミュニケーションがあったようである。しかし、私にはそれがギフトとなった。嫌な顔一つせずに彼は、半日ほど私と息子を乗せて牧場を見せて回って下さった。その時はすでに体調が弱っており、車内には小型酸素ボンベを積んで鼻にチューブを回して呼吸補助をしておられた。ちょうど春に入る前の時期で、子牛が生まれる季節であったから、是非その素晴らしい命の瞬間に立ち合わせてもらおうと思っていたのである。
残念ながら私たちのタイミングが悪く、予定されていた子牛たちは既に生を受けて牧場に産み落とされていた。それでも彼は丁寧ににこやかな笑顔を絶やさず、牧場を案内してくれた。子牛と母牛たちを放牧しているところ、種牛(ブル)たちを飼育している草原、などなど。そして、彼のご先祖たちが安らかに眠る墓地まで紹介してくれた。短いアメリカの歴史の中で、ちょうど1876年にコロラドが州として誕生した頃からパイオニアとしてこの地で牛たちと生活してきた本物のカウボーイたちの姿を目前に見た思いがした。肌にあたる風が彼らの素晴らしい大地の埃臭さと牛たちを追う栄華で、しかしながら、過酷なワイルドウエストのスピリットを伝えてくれているかのようであった。
その一度の出会いが私を変えていた。それよりも数年前に、コールマン・ナチュラル・ビーフ社という彼の牧場からの牛をプロセスする会社に日本からの視察補助に通訳として立ち寄ったことが数回あったが、彼ばかりか彼の弟(ジム)はじめ家族、親類一同が私たちを歓迎してくれたのである。そして、告別式で彼のスピリットが更に私たちにパワーを分け与えていたのである。
2003年2月16日。家族と一緒に牧場に出向いた。時期的には子牛出産の時期をまた逃してしまっている可能性があった。ジム叔父さん(私は既に彼を
Uncle Jim と呼んでいる)とは、前年の告別式で涙の再会をしたきりであった。自宅に寄ると叔母さんが出てきて、ジムは牧場で子牛たちを分けているという。私たちは嬉しくなって急いで牧場に向かった。
埃まるけのカウボーイハットを手に持って子牛を追っている彼の姿を見つけて、私は一人微笑んでいた。フェンス寄り立ち彼の動きを見つめていると、少しずつ私たちの方に寄って来てくれた。近づく彼に会釈をすると、帽子のひさしを上げるようにして私を見上げ青い瞳が笑った。「どっかで見た顔だと思ったが、久しぶりじゃなあ。」空は雲がかかり霞んではいたが太陽が多少ながら地面まで届いていた。気温は零度前後。風が吹くと氷点下の体感気温になる。そんな天候であったが、彼の顔には疲れや寒さに萎えている様子は全くなかった。
ジムはにこっと笑って言った。ちょうど15分ほど前に一頭の子牛が生まれたというのである。牧場の横の納屋を指差して、彼は付け加えた。もう一頭の母牛が破水しているというから、すぐに納屋の脇に向かうように言われた。私たちは喜びに浸りながら駆け足になった。「あと1時間くらいで生まれるだろうな。」足場は乾いているか落ちたばかりの牛糞が散乱していた。乾いた方に足をのせないと履き返る靴はもってきていなかった。仮設の囲いの中に母牛がいた。既に破水している様子は見ればすぐ分かる。気が荒くて落ち着かない様子を見て、距離をおいた。吐く息が白い。陣痛が始まると痛みから地面に体を横たえては絶えていた。
そのうちに子牛の前足が出てきた。陣痛を何度も繰り返していたが、前足までで頭がでてこない。そんな様子を心配しながらみているとジムの息子、ティムが現れ、首をちょっと傾けてから「これは出してやらんといかんな。」と言って母牛を納屋に連れていった。地面は干し草をしいてある。母牛の首の辺りにひっかるようにして動きを止め、人口出産補助というのだろう、昔ながらのツールを出した。
既に出かけている子牛の前足にロープをしばりツールにひっかけた。小さなレバーを前後に動かすとてこの作用で徐々にロープが引かれる。すると子牛の足が出始め、ひざにあたるところが出てきたくらいに頭(鼻の部分から)が出てきた。この部分が出てしまえば後は自然の法則なのだろうか、スムーズに子牛はこの世に姿を現し、地面の干し草の上に落ちた。母は2才牛で初産にしては大きい子牛だった。
ティムはすばやく子牛の様子を確かめながらつけたロープをはずした。そして、母牛からミルクを絞り始めた。大きな哺乳瓶のようなプラスチック製の入れ物に音を立ててミルクが落ちる。2,3リットルくらいだろうか、搾り取ると私たちを囲いの外に出るように指示してくれた。
母牛の首止めをはずすと、すぐに子牛に近づきなめ始めた。ティムは採ったミルクの臭いを母牛に嗅がせてから、子牛に飲ませ始めた。生まれて数分というのに本能なのであろう、子牛は凄い勢いでミルクを飲み始めた。その様子に安心したかのように、母牛は落とした胎児袋や胎盤を食べていた。ミルクを飲むことで子牛は呼吸を大きくし始め、体に鋭気が宿ったかのように動き始めようとした。
母牛はそれを見るようにして様子を伺っていたが、ティムがミルクを上げるのを終わると鼻で子牛をつつくようにして立ちあがらせようとしたのである。
子牛はまだふらつきながら必死に立とうとした。母牛は興奮しながら、鼻息を荒くして、それでも優しい目で子牛を押す。自然の力を感じた。自分の足が何なのか分からないだろう。生まれてまだ10分も経っていない。子牛はほんの数秒であったが初めて立った。その瞬間私たちは拍手でもしたい喜びにあった。
子牛は立てなければ乳をもらえない。そういう自然の法則があるらしい。そして立てば自然とひざが落ち着き歩けるようになる。本能とは言え、自然というものは素晴らしいものだと痛感させられた。
納屋の隅でメルが微笑んでいるように見えた。ひょっとすると、それは気のせいではなかったかもしれない。
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