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数年前の話であるが、ある県の福祉関係の視察の補助をさせて戴いた。園芸療法を活用した精神的な補助などを実践している病院のリハビリセンター、軽度の犯罪を犯した受刑衆の入る刑務所、末期症状で死を見つめながら一生懸命生きる人たちのいるホスピスなどを回った時のことである。
各訪問地に着くと同時に通訳が始まる仕事であるから、神経を集中していただろう。各担当者に丁寧に挨拶を済まし、視察を続けていたのである。長い一日の予定が終了したときに、視察補助をさせて戴いていたお客さんが首をかしげて私に質問をされた。
「ちょっと変な質問ですけど、今日回った視察施設でも、昨日回ったところでも出てきてくれた人に握手をさせていましたよねえ。」
アメリカの風習で握手が挨拶代わりであるから、自然なしぐさなのであるが、私は何を言わんとしているのか理解しかねた顔をしていた。それを察したかのように、付け加えて続けるようにしてAさんは言った。
「最後に寄ったホスピスがありましたよね。あそこの二階で会ったBさんとだけは握手をされませんでしたが、何かあったのでしょうか。」
私には記憶がなかった。Bさんの顔はしっかりと覚えていたが、思いあたることがあった。もちろん意識的に握手を避けた訳ではなく、もしその行動をしていなかったとしたら全くの無意識行動だと思った。Bさんの部屋に受付の方がご案内下さったのだが、ドアを開けた時に振り返ったBさんの目を見て、実は私は何かを感じていたのである。
初対面の人に対して大変失礼ではあるが、「信用できない」と直感していたのである。それが行動にでて握手をしていなかったのは自分で覚えていなかったのだが、Aさんのご指摘を戴いて「なるほど」と一人肯けたのである。Bさんは運営上の説明を簡単に説明して下さったのだが、今思えばBさんも何かを私に感じたのであろうか、霊気の話をし出したのである。
私は霊気に関心は持っているが、その当時は信頼できる霊気師を知らなかったので、興味だけで話を受けていた。しかしBさんは執拗に話に力を入れて噛み付いてきた。私は通訳の仕事中だから話を切り上げようと必死であった。私は、霊気の力を信じてはいても、霊気を使う人をかなり厳密に選択していたようであった。別かれる際に更に「宣伝文句」を並べるようにしてBさんは「霊気師」の名刺を渡したが、その名刺がどこの姿をくらましたかを未だに覚えていないのである。
この仕事の数日間で私は数十人の人と握手を毎日交わしていた。その中でBさんとはしていなかったのは興味深い。
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