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何気なく口に出す言葉に含まれる意味と力というものを考えたことがあるだろうか。意識的に出てくるものなのか潜在的にあるものが何かに押し出されてでてくるのだろうか。出てきたものを聞くものがいるのだろうか、また、聞いて何かに気づくものがいるのだろうか。
ある三人兄弟の話がある。末っ子は上の二人より年が離れていた上に身体にチャレンジを強いられていたから、幼少の頃から母親が他の息子たちよりも気を配っていた。当時は高価だった薬品投与のためにお金を工面して彼に尽くした母親だったが兄たちにとっては、目障りだったらしい。兄弟がいる人なら分ると思うが、悪質な嫌がらせではなく兄弟だから言ってしまう嫌がらせの言葉というものがある。「お前は銭食い虫だ。」「体が弱いから金がかかる。」
一番上の兄は言い続けていたらしい。働き盛りから中年後半になる頃になってこんな言葉を口に出したという。「お前は65まで生きればいいとこだ。本当に銭ばかり使いやがって。」末っ子は何も言わずに罵倒とも思える彼の言葉に耐え続けた。
二番目の兄が言っていたらしい。「お前にかかった金で家の一軒位建てれただろう。」しかし、命と金を比較したら、比較できるものではない。
彼らにはもちろん弟を本当の意味で傷つける気持ちはなかったであろう。兄弟新理というものである。そして、そう望みたい。しかし、言われる方としては、言葉で表せない長年に渡る嫌な気持ちというものが潜在意識の中に植えつけられて存在するが、言った方はそんなことは覚えてさえいない。
身体障害者というチャレンジを抱えて末っ子は無理をせず、自分の身体が許す範囲で人生を送り定年退職まで至る。身体一つ壊さなかった長男は、健康の有り難さを知らず、口だけの理屈や道理を人に押し付け威張り通していたが長年の身勝手な食生活がたたって突然糖尿病となり、しばらくして入院したが、併発症がでて悪化し植物人間になった。そして彼の長男の判断により生命維持装置をはずされ65歳でこの世を去った。彼が予言していた年齢は自分の寿命となってしまった。
次男は、70に届かないところで呼吸器系不全の病で息を引き取った。彼の最後の言葉は「酸素をくれ。」だったという。彼が最期に与えられたその苦しみというのは下の弟が障害抱えていた呼吸器系障害を思い知らされたものかもしれない。
兄たちに散々罵られた末っ子は、人の4分の1の肺機能で生き伸び、何度も入院を繰り返したが孫たちの顔を見て74まで生きた。同年代の仲間の出世欲や昇進に惑わされることなく自分のペースで与えられた命を全うしたのである。なかなか出きることではない。
人の人生というものは分らない。しかし、口に出すことほど怖いものはないと思わされた話である。人の幸福は口に出しても、不幸は決して望んではいけないと教えてくれた祖母の言葉が耳に響く。
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