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1870年代までには鉄道施設がアメリカ西部に向かってその手を伸ばしていました。1871年にウィリアム・ジャクソン・パルマー将軍(General William Jackson Palmer)が、彼のデンバー&リオグランデ鉄道を拡張している間にコロラドスプリングス市を創設しました。
1879年に友人でありバーリングトン鉄道の責任者であるチャールズ・エリオット・パーキンズ( Charles Elliott Perkins)に神々の庭に家を建ててはどうかと勧めました。そして鉄道ラインをシカゴからコロラドスプリングスまで延ばしてはどうかと提唱したのです。バーリングトン鉄道はコロラドスプリングスに直接路線を延ばすことはありませんでしたが、パーキンズは1879年に神々の庭に、240エーカー(約30万坪)の土地を夏の避暑用の家を建てるために買いました。
彼は後に更なる土地を付け加えましたが家を建てることはせず、公共の楽しみのための自然の恵みである夢の国として保存しようと考えました。何年もの間、一般の出入りを自由に許してはいましたが、パーキンズは公共公園として法的にこの土地を設定することなく、1907年死去。1909年に彼の子供たちが彼の意思を継ぎ、480エーカー(約60万坪)の神々の庭をコロラドスプリングス市に寄贈しました。これによりこの地域は永遠に神々の庭として知られることでしょう。
「公共に自由な出入りの出来る場として残され、有害アルコール類の製造、販売、持ち込みを許さず、また管理運営に必要なもの以外の一切の建物の建設を認めず、公共公園として管理されるものとする。」とされています。
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