物事には何事においても、良し悪しがあり、それは主観の位置とそれぞれの立場によってまちまちである。我々が社会を形成して生きていく中で、それは自然界で行われている本能的なものと同様に、順応することを迫られることがある。意識的に感じる時とそうでない時があるだろうが、たとえば生まれ育った土地を離れて異郷に根を張ることになった場合のことを考えてもらいたい。それは故郷、郷里ではない他郷、異国に移り住んだ場合のことである。
以前同級生と再会した時に、そんな異郷での生活について話に花が咲いたことがある。私と郷里を同じくしていて地域の文化や方言も同じだった親しみもあったが、彼女は気候や文化はもちろん方言の違う土地に嫁いでいって20年以上も経っていた。話をしているとイントネーションの違いや語尾の違いに違和感が感じるほどその土地風にしていた彼女に対して、同郷の人間と話しているという心理的なポジションから生じる壁のようなものが感じられた。それぞれの異郷に根を張るに当たって言語的な試練を与えられていることとは思うが、どうもいけなかった。
嫁いだばかりの頃に近所の老婆から嫌がらせをされたという話を聞いた。それは風体がどうのこうのというのではなく「言葉が違う」「外から来た」という理由で浴びせてきた排他的なものだったのかもしれない。細かい彼女の「苦労」は知る良しもないが、新天地である異郷に家庭を築くために身を投じたからには仕方のないものかもしれない。先人が政治的な時代の流れの中で落人(おちゅうど)となり、異郷での生活を強いられた時代のそれとは違うかもしれないし、新天地開拓のために入った土地の環境に順応を強いられたそれとも生命を懸けるという意味では深さが違うかもしれない。また新天地開拓のために大陸に渡った時代の人たちのそれとも違うだろうが、アメリカという外国に身を投じた自分自身にも感じるところは多々ある。
必要に同郷の言葉(遠州弁)を拒絶するかのように話す彼女の頑固な姿勢に疲れた私は、しかたなく一言放った。「お前なあ、同じ遠州の人間だらあ。わざわざ違う言葉を話さんでもいいら。」その言葉に対して目じりを吊り上げるようにして返ってきた言葉が「あのねえ、20何年も住んでいるんや。そこの言葉になるのは当たり前。何をいうとるの。」と返してきた。
人は生きるために順応をする能力を授かっている。しかし、心の奥につながっている生まれ育った土地への心の絆は忘れてはいないだろう。それを認めながらも我を張る理由は何か。私のように海外という異郷で根を張って30年近くなる人間がどんなことを言ったとしても意味がないと思えるほどに意地になってさえいるように思えたが、彼女が心を開かない限り、どんなに思いやりのある言葉をかけても意味をなさないだろうと感じた。
もし彼女の言うことに、正直に、また的確に答えたならば、私はこう言わざるを得ないし、それに対して彼女は何も言えなかっただろうと思う。
「そうか。でも、それが正しいなら、俺はお前に英語で話をしなければいけなくなるぞ。」
順応性と心のつながり。両立とまでは言わないが、心のつながりだけは失いたくないと思った。そして、年を重ねることを許されていると思える年齢にさせてもらい、やはり自分には素直に生きたいと強く思った。
(2010年5月)