アメリカ 環境 【小池清通】

コロラド 写真家 エッセイ【小池 清通】
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 バランスと共存


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 自然が自然たる「力」とは何なのだろうと考えることがある。若葉が大きく芽を出して初夏に向かおうと準備を進めていた数年前のある春の日に、低気圧と寒気団の突然の訪問があり、どか雪となった。その湿った雪は開いたばかりの葉について固まりとなって木々にのしかかった。そしてその重みに耐えかねて多くの枝が折れた。これも自然の過酷さというのだろうか。そんな思い出がまだ鮮明な中、当時大きく枝を折られていた木を見ると驚かされる。いつの間にか、枝が折れてなくなり大きく開いていた空間は、新しく伸びた枝で埋め尽くされ若葉が顔を出している。アンバランスにも思えた痛々しい木は、誰に教えられることもなくしっかりとバランスを取り戻し力強く生きているのである。

 あのどか雪は災難だったのだろうか。それとも、余計なお節介だったのだろうか。人間の感情で理解しようとするとそんなアプローチになるだろう。枝が折れて形が悪くなったという理由で木を切り、新しい木を植えて見かけ上のバンランスを整えた人もいたはずである。

 天候は地球上のあらゆる動きが引き金となって動き始め、一定の地域で一定の時間に顕著な感情を表すことがある。その「動き」が自然を潤滑に動かしバランスをとっているのだと私は思う。そのような大昔から営まれてきた変化、変動が現在に至るまでのバランスを保ち、それらの中で生活する生物が適応、順応しながら生きながらえてきているのである。人が物事を考え解釈する時に、主語が「人間(自分たち)」となる場合が多い。「我々」という主語が使われる場合、それは「人間たち」という使われ方が少なくない。息とし栄えるもの全てが微生物から巨大な哺乳動物、樹木や森に至るまで、与えられた環境下で共存しているという認識を持つべき時代に来ているのではないだろうか。そして、自然があきらめることなく「我々」に伝えようとしている訓戒を聞き理解し、行動に移る時は今なのだと思うのである。

 微妙なバンラスで保たれている自然。それぞれが、それぞれの存在の意味を持って存在している。だから我々も我々の存在の意味をしっかりと理解して古代からの当たり前の役割を見つめてはどうだろう。

 

 
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小池清通の自然美
The Great Mother Nature by Kiyomichi Koike
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