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写真撮影を通して自然が与えてくれるギフトがある。それは、誰もが持って生まれた感性を刺激する力である。
五感というものがある。視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚の中で、撮影を通じて最も刺激されるのは視覚であろう。ポイントを決めてファインダーを覗くと見えてくる景色に構図を考える。目に見えるものが感性に何かを訴えてくる。そして、撮影地のその季節、その日、その時間の状況が与えてくれる動植物が奏でる声や音(聴覚)、周りから漂う臭い(臭覚)、頬に当たる風や舞い散る枯葉や花びら(触覚)、飛び回る虫などが更に感性を刺激してくる。季節によっては、食べものから何かを刺激されること(味覚)もあるであろう。
写真撮影には技術が必要である。しかし、機材についてくるマニュアルを熟知しているものだけが必ずしも素晴らしい作品を撮れるとは思わない。また、感性だけが優れているものだけがいいものを撮れるとも思わない。コンピューターという技術を日常生活の中で活用していても、その全てを活用している人は少ないのと同様に、様々な「機能」のついているカメラをフルに活用している人も少ないし、言い方を変えれば、全ての機能を使わなくても作品を撮ることはできる。
感性は誰にでもあるが、人によってその強弱点が異なっている。だから、同じ場所で同じ条件で撮影をしても同じものは撮れないし、撮らないだろう。感性は磨けば磨くほど鋭くなるが、それに気づいていない人や磨こうという姿勢がない人には無理がでてくる。しかし、磨いてみよう、磨いてやろう、磨かせてもらおうと思う人には、様々なチャンスが訪れるし、見えてくる。そんな感性を磨くのに最適なものというのは、やはり私たちを産んでくれた大自然ではないだろうか。
ある程度の技術をもってすれば、後は自然に接する機会を少しでも多くして、足を運ぶことによって奥に導きいれてくれる流れを見つけ、その中で磨き上げてこそ、単に名作と呼ばれる見掛けの素晴らしい作品ではなく「気」の入った、なぜか分らない魅力がある作品を撮れると私は信じている。技術ではカバーできないものを自然が持っているように、人間も技術だけに頼らない方がパワーを発揮できるもって生まれたものがあるということを知っていると、また違った角度から写真撮影というものをみれるかもしれない。
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