感性とは誰もが持ち、与えられているギフトである。これは喜怒哀楽の感情と同じところに根を張っている。ものに対する主観的な感じ方という表現を使うのが簡単で分りやすいかもしれない。とは言ってもそれ以上もそれ以下も具体的には説明しにくいものでもある。故に神秘的なものでもあり、その成長によってはとてもパワフルなものにもなりえる。そして、それは個々人によって形や大きさ(目に見えるものではないが)やディメンションが異なるユニークなものである。
芸術的なことになると感性というものが重視される場合が多いし、評価の対象点として取り上げられることも少なくない。多くの芸術家はそれを磨くために試行錯誤をし、先人の作品に何度も目を通したり、それらに関する様々な評価を研究する。また、視覚的なものばかりではなく話を聞いたり、類似した目標を持つ仲間たちとコミュニケーションをすることによって意見や情報交換をして知識を深め刺激とする。時には被写体となったロケーションに実際に足を運び、そこの風を浴び空気を吸うことにより何かを感じようとする。
写真撮影において、感性によって同じ被写体を見てもどこを撮影しようかと思考するスタイルが個々によって違ってくる。撮影ポイントにおいて、三脚固定をするかどうかというのは技術的なことであるが、幾種類かのフィルムを持っているならば発色の仕方やタッチを考えてどれを使うかを選ぶ選択要素にもなりえる。何よりもどのような景色枠を考えて構図を決めるかという作品製作には、どのレンズをつけるかを決断をする重要な判断をする舵取りが感性になる。
自分の感性の発見、そしてそれを磨くには、様々な異なった人たちの作品に触れ目を肥やすことが大切である。フィルム選びにしても、作品の焼付け方法にしても、触れれば触れるほど目が肥えてくることは確かで、自分における「本物」が見えてきた時には、感性そのものが新たなるステップを踏んで更なる輝きを求めてくるであろう。
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