写真家 アメリカ 【小池清通】

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 限界の力


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 限界の力

 写真撮影という一つの行動を続けてきて感じることがある。それは他の様々な行動にも共通することだと思うが、限界というものがもたらす力があるということである。それは体力や天候、環境などの条件がもたらす制約でもあり、精神的にそれに対応する時の姿勢がどうであるかによる。

 何事も全てが思うようにスムーズに運ばれることが成功であり幸せであると思っている方がいると思うが、私はそうは思わない。それは、難路を歩んだ方が気が引き締まるからである。(これはあえて常に難路を選ぶのを良しとするものではない) 何の危機感もなく過ごしていることが幸せだと定義付けている人と比較するつもりもないから、この点では誤解をして頂きたくないが、人生というものに関しても一度きりの与えられた時間という点において、選択を迫られたなら難路を選べる人間の方が内容の濃いユニークなストーリーを描けると思っている。

 喘ぎながら220mを登るのは経験した人にしか分からないかもしれない。標高2400m地点から登る高さである。それは山道が作られ、各所に手すりや階段ができている人工的な補助が加えられた場所ではない。全てが砂で出来ているため、足は一歩進むたびに沈むコンディションでは体力が消耗する。更に20キロを越える機材を背負って、となると息が上がる。休み休み登頂した時に見渡す光景は無我の境地で感動を持てる。そこで撮影する時の気持ちに邪気はない。それは邪気を感じるほど余裕がないからともいえる。様々な状況が考えられる中での一つの例である。制約、限界を引き入れ受け入れることによって気を研ぎ澄ますことができるからだと思う。五感を鋭敏にし、感性を全開にして望める条件は客観的ではなく主観的に自分自身のスタイルや性格を熟知した上で大切にしたい。

 呼ばれたような気がした。そんな感覚は、理屈ではなく体験したものでなければ分からないだろう。フィルムにしても限られた枚数を如何に活用して撮影するかを考えて動いていると無駄打ちをしていられない限界を理解したものになる。私にとっては、何度でも撮り直せる無限に近い道具を持ち歩くよりも、制約や限界のある機材をもって初めて自分が自分に素直に向かい合い、無心で感性をむき出しにして自然と交じり合うことができると思っています。

 綺麗な写真は光学、電子技術などの発達によって容易になってきているが、最低限の撮影ツールしかなかった時代に撮られた名作が醸し出す「味」を持っているものは今は多くない。写真の本当の芸術性というものは、何度も見たいと思う作品や、言葉で形容しがたい何かを感じるものであろう。写真には撮影者の「気」が入る。そして撮影地の「エネルギー」が映し出されると信じる。そんな作品が多くに認められ支えられ守られる日が戻ってくることを望んでいる。

 

 
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小池清通の自然美
The Great Mother Nature by Kiyomichi Koike
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