写真 アメリカ 【小池清通】

コロラド 写真家 エッセイ【小池 清通】
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 観える音


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 写真撮影を続けてきて最近感じることがある。それは「音が観える」という感覚である。という言葉で表現はしてみたものの、実際に相手に伝えるには困難を伴う感覚であることは確かであるが、自然と接していると人間の常識感覚だけでは把握できないセンセーションを持たされることがあるから奥が深い。

 撮影地の空気が自然と身体に入るようになり、光や影の動きに身を任せるように同調し始め、舞い散る砂や埃そしてここに生息する動植物たちと同じレベルで天地を受け入れる時に音が観えてくる。そして何気なく砂面に流れる砂紋が語りかけてくる。季節的に顔を出すメダノクリークの水の流れに波が姿を現しては砂に消える。目の前に繰り広げられる「動き」とは違う次元に更なる「静と動」がある。これは五感を鋭敏に開き、無心になって周りを受け入れて自分もその一部になるというような感覚から感じるものかもしれない。

 風が強まり砂が舞う。音もなく近づいては去っていく砂煙たち。ざわざわとせわしなく走り抜けるものも、まるで生き物のようにエネルギーを伴って通り抜けていく。スピードを自由自在に操りながら砂面を駆け上がったり、途中で空に向かってちらばっては消えるものもある。砂丘のなだらかな曲線の上を流れるようにして飛んでいく。時には砂紋のラインを揺するようにして横切っていく。

 何かの囁きが聞こえてきそうな光景がある。きっと本当に囁いているのだろうと思えると、一人でいる気がしなくなる。目の前に繰り広げられる大小の宇宙がある。そんな存在に気付いている自分が、ひょっとするとそれらを認識するためにここにいるのかもしれないと思えるほどに、気を研ぎ澄ませてみればみるほど、時間を超越したひょっとしたら時間のない世界を包み込んでいるのかもしれない。

 

 
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小池清通の自然美
The Great Mother Nature by Kiyomichi Koike
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