人によって感じ方は千差万別だが、気配というものを感じることがある。それは人の気配であったり、動物の気配であったり、時には何か分らないものの気配。これも私たちが生まれながらにもった感性であると思う。
戦国時代など、戦いの時代や獣が襲ってくるような環境下で生活をしていた頃は「気配」というものに鋭敏であったと思う。思い出せば時代劇でみたシーンがあるが、町外れの道を歩いている浪人がふと背後に人の気配を感じ取り振り替えるとか、屋敷の中で会話をしている侍がふと天井裏に潜む忍者の気配に気づくというようなもの。山道を歩いていると感じる獣の臭い。樹木の間から感じる視線なども「気配」というものなのだろう。
お蔭様で2007年春に個展開催という名誉を頂いた。テーマとなる大砂丘で私が感じたものを少しでも多くの人に感じてもらいたいと思っているが、次のテーマとしてコロラドプラトーのある地域の撮影を開始している。流れなのだろう。気にもせずに行った初日が偶然(必然?)にも満月で日没後に月が上ってきた。夜間撮影などしたこともなかった私だが、昼間のように明るい景色に飲まれるようにして撮影を試みた。同じ月の2週間ほど後に再度夜間撮影を試みるに至るが二度目は半月の時期で、しかも雲がかかったこともあり昼間のような明るさはなく一時暗闇に没した。誰もいない荒野で三脚を立ててじっと待つ間に「気配」を感じたのである。それは動物の視線でもなく、もちろん忍者や浪人が襲ってくる時の殺気を感じたものでもない。
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